洋平をつれて合宿に行こう! / 寝床 「ハア…」 玄関をくぐり、一息つく。 流川は汗をシャツで拭いながらリビングに足を進ませた。 喉が乾いたので冷蔵庫を漁るためである。 「……」 リビングには大きめのテレビが1つ、ソファが1つくらいしか大きなものはない。 そのソファに寝転がる人物に流川は一度だけ目を瞬いた。 好きで寝ているのだろうか? 二人座るのが精々のあんな小さなソファに? 暖かい時期とは言え、何も羽織らずに? 不思議に思いながらもそれに関して問うことはせず、流川はサッとソファを通り過ぎると座り込んで冷蔵庫を漁り出す。 「おかえんなさい」 ビクッ。 思わず肩を揺らすと小さく笑う声が背後から聞こえた。 冷蔵庫を開けたまま見上げると、淡く笑う水戸と目が合う。 「わりぃ。驚いたか」 そう言うと髪をかきあげる。 さっきまでソファに寝転がっていたので水戸の髪は散らばり、幼げだった。 「飲みモン?なら茶かスポーツドリンクくらいしかないな?。あとジュース」 「…茶がいー」 流川が覗いていた冷蔵庫にはスポーツドリンクしか入っていなかった。 今はなんだか茶な気分。 水戸は笑うこともなく、キッチンの方に歩いて行く。 そんな水戸の背を見つめながら流川は立ち上がると冷蔵庫の戸を閉めた。 夜のランニングで流れる汗をゴシゴシとシャツで拭う。 シャツもすでにビショビショで、拭くことに意味がないと気付くとムッと眉を顰めた。 「…ん」 水戸の声に顔をあげると、スッと出されたのは茶ではなくタオルだった。 もう片方の手にガラスのコップに入った茶、口には自身のジュースのストローをくわえている。 とりあえずタオルを受け取り一通り汗を拭いてから首にかけ、茶を受け取った。 「残念だけど、熱いのはなくてね」 この暑いのにそんなモン飲むものか…とは一般の意見。 確かに流川は熱い茶が飲みたかった。 気付かれたことに、流川は少し驚く。 …もちろん顔には出ないのだが。 水戸が、また小さく笑った。 「ちょっと待ってくれるなら入れるけど」 「…いい」 そして流川はコップに口をつけた。 水戸はそう、と頷くとストローを少し噛む。 そのままグッと背を伸ばし、首を左右に振った。 顔をしかめるのに、寝違えでもしたんだろうと流川は口に出さず思う。 「…どーも」 一応礼を述べ、空になったコップを渡す。 ん、とそれを受け取りながら頷いた。 そして思い出したように言う。 「あ、できれば毛布かなんか貸してくんない?」 「…?」 飲み終わったらしいパックを潰してゴミ箱に放ると水戸は再度流川に顔を向けた。 表情は微苦笑。 思惑がわからず、少し考え込んでいる間に水戸は流川から受け取ったコップを流しに置き、戻ってきていた。 「締め出し食らっちゃってさ」 水戸は花道と二人部屋であった。 それに締め出されたとなると……どういう意味だ? 「花道、鍵かけたまんま寝ちまったのよ」 「……どあほう」 お決まりのセリフに水戸が声を上げて笑う。 何が可笑しいのか分からない流川はチラリとそちらを見ただけだ。 笑われても、不快じゃないからどうでもいい。 「つーわけよ。ま、ないならないでいーんだけどね」 そんなに寒くないし、と水戸は言う。 たたき起こせばいいのにと顔を顰めるが、そんなものであの男が起きるとは思えない。 ついでに言えば、水戸は部活で疲れてしまっただろう花道を責める気も起こす気もないのだろうと思う。 あからさまに甘やかしている様子からも分かる。 今だって、ほら。 穏やかな笑顔。 周りにはいないタイプの人格だとふと気付く。 「…空いてる」 「ん?」 「一人だから」 流川は二人部屋に一人で泊まっている、と言った。 キョトンと目を丸くする水戸。 前髪がおりている今は、やっぱり少し幼く見える。 いつも大人のように、静かに笑うけれど…これも悪くないと思った。 それは、流川にとって破格な感情だと目を細める。 でもその幼い顔も一瞬だ。 「なら寝かせて」 「…別にいいけど」 ここで少し強く、図々し気に言うのがまた上手い。 疑問系で聞かれたならば、こんなにすんなりとはいかなかっただろう。 ニコリと笑顔の水戸に、流川は目を細めた。 いるわけにはいかないっしょ。 水戸の言葉に淡く首を傾げながらあっそ、と返事を返す。 「あ、髪」 風呂から上がり、リビングに行く。 第一声がそれだった。 「風邪ひくよ」 「…別に」 そう言いながらそうなのか、とタオルで頭を擦った。 この宿は、部屋に風呂もトイレもないという素晴らしく時代錯誤な宿である。 ひとっ風呂浴びてくるからと鍵を渡して先に部屋にいれば、と言ったが水戸は淡く首を振った。 それならここで待っている。やることあるんだと叩いたのは練習の記録ファイルだった。 そういえば、ここでのこの人の役割はマネージャーだったと思い出す。 時間かかるからゆっくり入ってね、と言われたが。 「つーか、早いね」 多分入っていたのは15分にも満たない。 基本的に風呂は長く入れないのだ。 「中で寝たら溺れっからね」 ボーッとしていた流川が案外近くから聞こえた声に顔をあげる。 すると、目の前に水戸がいた。 腕をのばしてガシガシと流川の髪の水滴を飛ばす。 なんだそれは。 思わず呆然としていると、水戸がニコリと笑う。 「…なんか、」 続く言葉は飲み込まれてしまった。 惜しいなと思いながら、手を振り払えずに目を閉じる。 「…はい」 タオルをとられ、髪を梳かれた。 これでいい、と笑い…離れていく。 手をのばすが、その手に疑問を感じて途中で空をきった。 「……」 でもすぐに戻ってきた。 手には例のファイル。 そして複雑そうな顔をしている流川になに?と首を傾げてみせる。 別に、と素っ気なく言うと流川はさっさと歩き出した。 …なんだか調子が狂う。 「あ、忘れないうちに」 はい、と手渡されたものに目を瞬く。 それは水戸のズボンのポケットから出てきた。 「……」 ジッとそれを見つめる流川についでだから、と笑う。 それはペットボトルに入った熱い茶であった。ぬるくなってたけれど。 水戸は反対側のポケットから同じようにペットボトルを出すと、蓋をあけて口づける。 煽る様に少し目を奪われてから、自分も同じように口をつけた。 …この暖かさが体温なのかと思うとなんだか複雑だ。 何故か。 「夜食とかいる…わきゃねぇか。花道じゃねーし」 いるなら買いに行くよ。すぐそこにコンビニあるから。 水戸の申し出に首を横に振る。 そう、と淡く笑う表情がなんだかいいと思った。 不思議と心は乱されない。他人といるにも関わらず。 …他人の名前を呼ばれると、なんだか気に入らなくはあるけれど。 「ね、」 香りが近い。 目を向ければ、すぐ傍に他人の顔があった。 「一口ちょーだい」 幼く笑うくせに、艶やかに。 気にもならなかった格好に意味を見つけそうになる。 シャツを軽く引っ掛けただけの水戸に、流川は数回目を瞬いた。 「…いいけど」 「どーも」 触れるわけではなく。 流川の手からペットを受け取ると水戸はスッと離れていく。 ごく自然な流れだ。 少し距離が近かったのは、多分花道に対してそうだからだろう。 「俺もちょっと飲みたかったのよ」 いる?と出された水戸のものにはいらないと首を振る。 サンキューと返された茶に、別に他意はないと知りながら目を細めた。 半分もない量を一気に飲み干すと、流川は立ち上がる。 なんだか瞼が重くなってきたので。 覗く先は押し入れだ。 スペース的には2つ布団を引くくらいはなんてことはないのだが… 「…あ」 「ん?」 失念していた。 流川は押し入れから布団を取り出す。 ただし一式だ。 水戸はそんな流川に合点がいったようで、苦笑する。 流川が自分用にと入れられていた布団を出すと、中は見事に何もない。 「あー…別にいいよ。そのへん転がってても寝れるから」 「……」 「外よりはマシだし」 水戸の声を背に聞きながら、流川はスパーンッと他の押し入れも順々に開けていく。 水戸は少し呆れながら、ペットを飲み干した。 そして、見つけたのは薄めの毛布一枚である。 「お、ナイス」 でも敷き布団がない。 ムッと眉を顰めるついでに、眠気に勝てずに倒れた。 そこは掛け布団の上。 …あぁ、これでいいではないか。 「アンタは、こっち」 「え〜?」 ポンポンと叩くのは敷き布団。 自分は掛け布団を敷き布団代わりにして寝るから、アンタは敷き布団に寝て毛布を被ればいい。 なんて名案。 「おいお〜い」 寝るなと揺さぶる手は、でも、優しくて。 むしろ眠りを誘うのに。 それでも困ったような顔をされれば少し、気になる。 別にいいのに。 気にしないしする必要はない。 でもそうやって思考を巡らしのが、もう無理で。 両手をついて流川の顔を覗き込む水戸を、 「…ようへい」 小さく呼んで、手に触れた。 水戸は、目を瞬く。 「…あぁ、そっか」 知らないから。 彼を表す言葉を、流川はもっていなかった。 だからこれは、耳にタコが出来るほど聞いた他人が呼んでいた名前だ。 あぁ、でも、あんまり違和感がない。 「…ようへい」 「うん。そう。水戸洋平ね」 どっちでもいいけど、もう寝ちゃいそー。 苦笑を漏らし、洋平は流川の頭を撫でてやった。 流川はめったに夢など見ない。 それほどに眠りは深いのだ。 ついでに言うと、寝起きも相当悪い。・・・機嫌が。 「・・・ん」 「あ、」 覚醒しそうでしないまどろみの中。 聞こえた他人の声に、流川は違和感を覚えてツイッと顔を上げた。 ・・・上げた。 「あ、おはよう」 でも、その声は上にはいない。 ではどこに。しかし、近い距離だというのはわかる。 だって、声が・・・ そして、やっと気付く。 それは、自分の腕の中にいた。 「・・・・・・・・・はよう」 「ございます」 さらさらの黒髪に顔を埋めると、お?と相手が身じろいだ。 それには気付かないふりをして、目線を合わせる。 更に相手はなに?と目を丸くする。でも、抵抗されないから、そのままだ。 手をのばされて、頭を撫でられる。 「寝癖すごいね」 「・・・・・・あんた、は」 「俺、寝相いいから」 おまえと違って、と笑う。 穏やかな笑みが、朝日に透けていた。 そこで、やっと少しだけ頭が働いてくる。 「・・・ようへいは」 「うん」 「・・・・・・ようへい?」 「あぁ、名前。水戸だよ、水戸洋平。宮城さんとかミッチーは普通に呼んでたと思うんだけどな〜」 そういえば、あのとき。 赤いのに隠れて、自分の名前を聞いてきたのは洋平だ。 そこでは自分だけが答えたから、今更ながらズルイなんて思う。 ・・・まぁいいのだけれど。 「おまえのは知ってるよ。流川楓だろ?忘れてねーって」 そうそう忘れそうにないなって思うけど。 それは、きっと、理由があるかと思うと・・・その理由なんて容易に予想できてしまって、顔を顰める。 なにおまえ、と頬を引っ張られれば、それにはちょっとムカついて振り払う。 結構乱暴に払っても、洋平は笑うだけだ。 「うん、まぁ、いいんだけどさ。これ、」 これ、とさすのは流川の腕だ。 ちょっとやそっとではとれない腕が・・・洋平を拘束していた。 さながら、抱き枕。 「目覚まし時計の次は抱き枕か。なかなかに働くね、俺も」 「・・・だきまくら」 洋平のぼやきは聞こえていないかのように、流川はキュッと腕に力を入れた。 コラコラと、でも笑いながら言う洋平は無視して。 「・・・・・・悪くない」 それってどうなの。 流川の呟きに洋平がツッコむ。でも、やっぱり笑いながら。 他人の体温に、気配に、落ち着くなんて。 流川には初めての経験だった。 「ほんと、なんか・・・」 また言葉がきれた。 それは昨日の夜、髪を拭いてくれたときに聞いた話の続きだろうとは予想がつく。 響きが、同じだったから。 呆れるみたいに、でも許すみたいに。 ・・・許されている。 「なに」 「んぅ〜?」 「・・・なに。つづき」 「ほんと、なんか・・・?」 そう、それ。 頷くと、洋平は笑って流川の髪を撫でた。 そして、淡く口を開いた、まさにそのとき。 「よーへーー!!!」 バタンッ。 ドアが大破する音が聞こえた。 洋平はスッと上半身だけ起こす。その拍子にシャツが落ちたが気にはしない。 流川は必然、背後から洋平の腰を抱く形になった。 「よーへー!俺寝てたあ!!」 「おはよ、はな」 「あ、お、オハヨ!」 バタバタと入ってきたのは花道で、幼い仕草で潤む瞳のまま洋平の前に座り込む。 そして従順に仕込まれた朝の挨拶をした。 ・・・洋平が流川をへばりつかせたままだということにはまだ気付いてはいないよう。 というか、流川はまだ花道の視界にすら入っていない。 「うん。とりあえず、もうちょっと静かにね。まだ朝早いから」 「ぬ、ぬぅ・・・」 「それに、昨日のことはいいよ」 「し、しかし・・・」 「それより朝何食べる?はなの好きなのでいいよ」 「え、え、洋平が作ってくれんのか!?」 「・・・どっちがいい?」 「洋平!」 「うん。・・・流川も聞くよ。何がいい?」 洋平が視線を離すと、花道はハッと目を瞬いた。 見下ろす先には、花道の天敵である流川が、なんだか不機嫌そうな顔をしていた。 「な、な、なんで・・・」 「つーわけだから、行っていい?」 「・・・ヤダ」 なんとなく。 流川は一層洋平にしがみつく。 それが許せなくて、花道が怒鳴ろうと・・・するのは、もちろん洋平にはわかって。 「はい。ストップ」 花道の口を右手で抑え、左手でやんわりと流川の手を解いた。 そして立ち上がり、シャツを拾う。 二の句も告げないのは、そのスマートさにか。 「はな、このドアきちんと片付けて。流川はちゃんと髪整えておいで」 じゃあね、と手を振るとさっさと洋平は部屋を後にした。 ポカンとしている二人をそのままに。 ・・・そして、きっかり5秒ほど固まっていた花道だが、慣れているのか覚醒は流川より早い。 キッと相手を睨む。それに答えない流川ではない。 「つーか、なんでキツネの部屋にいんだよ!」 「それはテメェが寝ちまったからだろ」 「だからって!」 「・・・ロビーで寝てたから」 「だからって!なんで、おまえなんだよ!洋平がキツネ臭くなんだろ!」 せっかく答えてやった問いにその返事。 さすがに寝起きの流川でも少しイラつくところ。 ・・・と、 「あ、そうだ」 胸倉を掴み合ったところで、今さっき出て行った洋平がヒョコリと顔を出した。 「朝ごはん、何がいい?」 「・・・・・・」 「あさごはん」 「お、俺、カツどん!」 「朝から胃もたれそうね。流川は?」 「・・・魚」 「和食ね。おーけー」 ニコリと笑って言う。 ・・・が、思わず固まってしまうのはなんで。 「それと、朝からケンカとかしてたら朝抜きだからね」 わかった? 一拍置いてから、二人は高速で首を縦に振った。 朝抜きとかそんなことよりも、後に起こるだろう洋平の怒りを買うことへの恐怖であった。 そう、と言って今度こそ洋平は顔を引っ込める。 思わず二人は顔を見合わせるのであった。 その日の朝食は、ルーキー二人のいざこざもなく静かに過ぎていくのだった。 |